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水止舞は今から六百八十年ほど前、後醍醐天皇の頃の住職・第二世法密上人が行った長雨止めの祈祷に由来すると伝えられています。

第二世法密上人は、文永四年 北条茂候の子として生まれ、十八歳より高野山で真言密教を学び、伯父嚴正寺第一世法円のすすめによって法密と改め、嚴正寺二世を継ぎました。

後醍醐天皇の元亨元年(1322)、法密上人五十四歳の頃、武蔵の国(現在の関東あたり)が大旱魃(かんばつ)に見舞われた際には、「稲荷明神の像を彫り社を建て藁にて龍神のかたちをつくり、七日の間祈祷」し、見事に雨を降らせた。

しかし、二年後(元亨三年(1323))の三月三日より数十日間、今度は雨が降り止まず、田畑はことごとく海となり、人々は難儀して他国へ逃げる者も多くあった。

長雨は、法密上人の雨乞いの祈祷をしたせいだと、当時の恩を忘れ恨む農民まで出てきた。

そこで、上人は憐れに思い、三頭の龍像を彫り「水止」と呼び、佛前に浄土三部経をそれを誦し、それを農民たちにかぶせて舞わせ、笛太鼓を叩かせ、法螺貝を吹かせて、天に向かって踊らせた。

すると、黒雲は消えて太陽が現れ晴れ渡り、武蔵一円の人々も限りなく上人の高徳をたたえ喜んだ。

これにより、農民は寺に水止の舞を奉納するならわしとなり、その後ご本尊が願いを聞き入れて下さったご恩に対して、仏様への感謝の舞を奉納し、今日に至っております。